出口少年物語                                戻る

「ギタリスト出口日記」上で連載され、大好評を博した「出口少年物語」。
今までの連載分を全部まとめてみました。
2005/8/21 UP


第1話  「テープを弟に聞かれる」
第2話  「ギターだけ買ってきた」

第3話  「ギター、部屋の飾りに」
第4話  「チューニングが必要」
5話  「ピアニカでチューニング」

第6話  「不親切な店員」
第7話  「歌が無くてはわからない」

第8話  「3年に一度の大文化祭」
第9話  「ボーカルを探しに」
10話 「話は中学時代にさかのぼる。雲仙普賢岳が噴火しおったのだ」
11話 「かめはめ波」
12話 「素振り」
13話 「宿命のライバル」
14話 「人生の挫折」
15話 「スピッツを2人で」
16話 「おいのばかすけん(注:島原弁です)
17話 「大文化祭」
18話 「初恋」
19話 「ステージの上で」
第20話 「秘密基地」
第21話 「進路」
第22話 「看護って何?」
第23話 「看護1日体験」
第24話 「勉強!勉強!勉強!」
第25話 「センター試験」
第26話 「重大な発表」
第27話 「看護学校へ!」
第28話 「初名古屋」
第29話 「ふるさとを後にして」
30話 「名古屋に引越し」
第31話 「名古屋探検」
第32話 「勤務開始」
第33話 「思ったより大変」
第34話 「ベーシスト出口」
第35話 「初スタジオ」
第36話 「バンドやろうぜ」
第38話 「地獄のような日々」
第39話 「ガスセンサー」
第40話 「スペクターベース」
第41話 「看護実習」


出口少年物語 第1話 「テープを弟に聞かれる」  戻る

たまには音楽の話を。僕はもともと音楽は好きでありませんでした。
家にラジカセもなく流行の曲など全く無関心で中2の正月のお年玉ではじめてラジカセ購入。
しかし英会話のテープをきくのに使っていただけだった。

やっと音楽に興味をもったのが高校入ってから ミスチルやスピッツ、B’zなど聞き出した。
同時に自分も歌えたらかっこいいなぁと思った。
しかし聞いているアーティストの曲はキーの高いものばかり。
カラオケすら行ったことのない出口少年は自分の歌をテープに録音し聞いてショックを受ける。
さらにそのテープを弟に勝手に聞かれプライドもズタズタになる。
もう歌わないと決め、次にかっこいいのはギターだと思い、貯めていた二万円をもって楽器屋へ走る!


出口少年物語 第2話 「ギターだけ買ってきた」  戻る

みなさん投稿ありがと 。日記を見た人はぜひ投稿してね。みんなの日記にしましょう。

さて、楽器屋に走った出口少年の続きです。
うちの近くには楽器屋がほとんどなく、ピアノ屋のすみに安いギターが少し置いてある程度。
選ぶこともできず青のストラトキャスターを購入。
ギターをかかえて自転車に乗り家までダッシュ。

ギターをはじめるなんて人に知られたくなかった。
きっと笑われる!
そう思って誰にもあわないよう家へいそいだ。

さあやっと出口少年のギター人生のはじまりだ!

しかしなんとサービスの悪い楽器屋だろう。
教本もチューナーも付けてくれてない。
なにも知らない出口少年はこれからどうやってギターを弾くのか。



出口少年物語 第3話 「ギター、部屋の飾りに」  戻る

後日図書館でギターの教本をかりた。
それにアリスの「今はもう誰も」という曲が課題曲であった。
これなら何とかできそうだ。
母親がドライブの時よくアリスを聞いていた為知っていた。

さっそくコードを押さえてみる。指が開かんし痛い。
なんとか押さえて右手で弾く。
しかしきれいな音がしない。
なんどもやってみたが変な音しかしない。

それもそのはずチューニングがされてないギターなのだから。
三日ほどであきらめてギターは部屋の飾りとなった。


出口少年物語 第4話 「チューニングが必要」  戻る

部屋の飾りになったギターだが、僕的には非常にくやしい。
スーパーファミコンを我慢してギター買ったのに、一曲どころか 全く綺麗な音が一度もでてないのだ。
くやしいのでたまにコードの練習はしていた。

そしてある日このギターはチューニングがされてないことに気付いたのだ。


出口少年物語 第5話 「ピアニカでチューニング」  戻る

さあチューニングをしようと思ってギターに付いていた説明書を開く。
しかしそれには鍵盤にあわせると書いてあった。
要するにピアノで音出して、その音にあわせてチューニングしろということだ。


素人にそんなことできるか!

しかし家に鍵盤ハーモニカがあったのでやってみた。
音出してその音とギターの音をあわせる。
鍵盤ハーモニカは息を吹かないと音がでない、そして音をきいてギターに持ち替えてギターの音を高くしたり低くしたりするうちに鍵盤の音をわすれてしまう…


やっぱりできるわけない。

小さいころピアノでも習っていたら音感も育っていただろうに…。
全く音楽に興味のなかった僕には音と音を比べて高いの低いのとかわからない。
しかもハーモニカとギターでは音色が違うのでなおさら比べにくい。

チューナーを買うためスーパーファミコン貯金をもって楽器屋へ走る。


出口少年物語 第6話 「不親切な店員」  戻る

チューナーを買うため楽器にいくと僕にギターを売ったやつがいた。
こいつが気をきかせて俺にチューニングの説明をしてくれていたら、僕はギターを弾くのにこんなに苦労しなかっただろう。そう思うとむかついてきた。
初心者に楽器を売るなら教本とチューナーは必需品だ。なのに!
まあここは怒りをおさえて他の女性定員からチューナー購入。


出口少年物語 第7話 「歌が無くてはわからない」  戻る

家に帰ってさっそくチューニング。そしてコードを弾く。綺麗な音に感動した!
いままでのがむしゃらな練習も無駄でなかった。
なんとかコードを押さえれる。

そして初めて弾いた曲はスピッツの「涙がキラリ」かなりゆっくりにだが弾けた気がした。
それ以来いろんな曲をコードで弾きまくる。

しかし歌は歌わなかった。
だけど、コードだけでは聞いている人はなにを演奏してるかわからない。

母親に、かぐや姫の「神田川」をきいてもらったが、母親は「???」みたいな顔してたのを覚えてる。
歌が歌えないなら意味がない。
ギターでコードだけなら人に聞いてもらうこともできない。


バンドだ!

バンドをやろうと思う。



出口少年物語 第8話 「3年に一度の大文化祭」  戻る

さてバンドを組みたいとおもいだしたのだが…。
出身地の長崎県島原市は超田舎である。

ライブハウスはもちろん。練習スタジオもない。
前にも言ったように楽器屋すらまともにないのだ。

ドラムやベースをやってる人なんて聞いたことがない。
ギターをやっている人がクラスに1人2人いればよいほうだ。
バンドを組むなんてとうてい無理である。バンドを組むなど夢みたいな話だった。

しかし廊下に文化祭のポスターが貼ってあり、弾き語り募集と書いてあった。
うちの高校はなぜか三年に一度大きい文化祭(大文化祭)をやる。あとの二年は普通の文化祭だ。
だから高校生活三年のうち一度しか大文化祭にはあたらないのだ。
僕の場合このとき(高校二年)で大文化祭だった。

これに青春をかけよう。そう思った。


出口少年物語 第9話 「ボーカルを探しに」  戻る

さて文化祭に出たいものの、僕はギター初めて三か月 。
しかもチューニングの件で遅れをとってしまってるため 簡単なコードしか押さえられない。
もちろん自分で歌う気は無い。ボーカルを探さなくては!

そんな時中学生のときからギターをやっているやつを思い出した。
しかしあまり好きな奴ではなかった。
でもしょうがない。なんとか一緒に弾き語りに出てもらえないだろうかと悩む。


出口少年物語 第10話 「話は中学時代にさかのぼる。雲仙普賢岳が噴火しおったのだ」  戻る

一緒に文化祭に出て欲しいギターボーカルは、中学で同じ卓球部だった奴だ。

うちの卓球部はいわゆる「稲中卓球部」みたいなイメージはなく、サッカー部やバスケ部に並ぶ人気の部だった。
なんと学校の体育館の半分を卓球部が使っていたのだ。
あとの半分をバスケ。その他のスペースを体操部が使い、バレー部や剣道部は他で体育館をかりて練習していた。

なぜ卓球部が体育館の半分も使えるのかというと、試合の成績がいいのと、部員が多く、よい高校への進学率がよかったからだ。
なぜ僕が卓球部に入ったかというと、小学校のころ剣道を習っていて当然中学でも剣道に勧誘されたのだ。
しかし剣道がいやでなんでもいいから他の部活に入ってたのだ。

そんな出口少年に悲劇。

雲仙普賢岳が噴火しおったのだ。


これからしばらく中学時代の悲劇が続く 。


出口少年物語 第11話 「かめはめ波」  戻る

みなさんは雲仙普賢岳の噴火をご存じでしょうか。
そして災害者の方へ募金はされたでしょうか?

もう10年以上前、ドラゴンボールで言うと「悟空対フリーザー」あたりの時代です。
すごい奇跡みたいなことなのですが、中学校の遠足で普賢岳の頂上に登った三日後に噴火しました。

まさに、命拾いです。

そして噴火のもっともピークは僕が中学一年(坊主頭)の時だったのです。
一瞬にして僕の青春は灰色になりました。
マスクとヘルメットで登校。
火山灰で全身灰だらけ。
学校の机や床も灰でざらざら。
目に入ると痛い。体育は中止。外の部活も中止。

体育館は家を失った方たちが非難してるので、卓球部も活動中止になったのだ。
友達もどんどん他の土地へ転校。

「悟空!普賢岳を、かめはめ波で消してくれ!」と思っていた。

募金してくれた方ありがとうございました。
マスクとヘルメットをいただきました。


出口少年物語 第12話 「素振り」  戻る

今夜は病棟の新年会。そのあとバイトなので今のうちに日記書いときます。11話を読んでから読んでください。
さて、ほとんどの運動部がふげん岳の為活動停止となった。
そんななか、卓球部は空いている教室でなんとか活動を再開させたのだ。
与えられた教室は3教室。男子2つ、女子1つの教室。

すると今までサッカーやバスケ部だった人たちが部活やりたさに卓球部へ集まって来たのだ。
たしかにまともに活動できる運動部は卓球部と水泳部くらい。
卓球部は練習ができないくらい人が集まった。

とりあえず素振りだ!


廊下に何十人も一列に並び素振りだけ二時間。これでやめていく人がほとんど。
卓球台で練習ができるのは元からいた2、3年のみ。
1年生や他の部からきた人は素振りばかり。

しかたないとはいえさすがにやめたくなってきた。
もともと好きで卓球部に入ったわけでないのだ。

しかし、しばらく時がたつと仮設住宅ができて、家を失った人たちが体育館をでて仮設住宅に移っていった。
そして、やっと体育館が使えるようになった。

体育館で卓球部、体操部、バスケ部が活動開始になったた、卓球部員もバスケ部や体操部にながれ、やっと僕も素振りから卓球台で練習できるようになった。
そんなとき、元バスケ部なのにバスケ部に戻らず卓球部に残ったデカいやつがいた。

それがのちに弾き語りを共にやることになるK君だ。


出口少年物語 第13話 「宿命のライバル」  戻る

K君はみょうに僕をライバル視していた。
小学校の時、剣道で初めてあって対決したのがはじまりで、卓球でも毎日のように僕と練習して自分のほうが強いとアピールしていた。

かなりうっとうしいがK君は友達が少なく、練習する相手もいないので練習は付き合っていた。
しだいに休みの日も練習に呼び出されるしまつ。悪いが剣道も卓球も僕の方がうまかった(?)


そんな僕とK君は中3の中体連で卓球ダブルスのペアになるのだ。
お互いに相手に足を引っ張るなよと思っていたに違いない。
中体連ではまあまあの成績が残せた。


そんな二人だが同じ高校に進学したものの卓球部がない。
僕は弓道部に入ろうと思って見学にいった
そしたらそこにK君がいた。
高校に入ってまでこいつの相手はしたくない。
しかも弓道部の監督がKくんの父(高校数学教師)だったのだ。

それだけが理由ではないが僕は弓道部には入らなかった。
あとからK君に誘われるが断っていた。
そしたらその年、弓道部が全国制覇をなしとげてしまったのだ。
弓道部に入っとけばよかった…。今ごろモテモテだっただろうに…。


そんな事情があり、もともとライバル的だった二人が高校ではK君はモテモテに。
僕は一日で女子の誰と話もしない日もめずらしくないほどつまらない日々を送っていた。


二年生になると僕は男子クラスになった (理系で物理を選択するとこうなる)クラス全員男!
しかもおなじ二年生で僕らのクラスだけ階が違う。まさに隔離状態。
一週間に一度女子と話ができるかなぁといった高校生活においやられた。


出口少年物語 第14話 「人生の挫折」  戻る

僕は高校に入って初めて人生の挫折を味わう。
中学までは勉強と部活の両立ができていたのに、高校に入って勉強も部活も駄目になってしまったのだ。
まず高校に入って3日目くらいに5教科のテストがあってそれで340番目/370人中くらいの成績だったのだ。
それがショックで部活にも入る気分でなくなったのだ。

うちの高校は島原半島唯一の進学校。
実際僕もかなり無理して合格したのだが、入学してからついていけなかった。

高校になると勉強が嫌いになったのだ。


朝の補習一時間、通常の授業六時間、夕の補習二時間←(田舎で塾がすくないため学力を補う為行われていた、部活の人は免除) 。
合計九時間も授業がある。

高校進学失敗したと思った。
となりの国見高校に転校したかった。
高校に入ったら彼女を作ろうと思っていたのだがとんでもない。
男女交際も全面禁止の学校だった。
全校集会では全員正座。
先生が前にたつと生徒はみんな土下座するのである。

昔ながらのスパルタ高校だ。


毎年東大早稲田に合格する人もたくさんいる。他の高校の生徒がうらやましかった。無理して勉強して入った高校でまた苦労する、ばかみたいだった。
そんななか僕は部活にも入らず高校三年間勉強しようと決める。

毎日つらい勉強だった。

成績はやっと半分くらいには上がって来た。

そしてこのころ部活に入るかわりにとギターをはじめるのだ。
そして大文化祭こそが僕の高校生活のなかで青春をかけた日なのである


出口少年物語 第15話 「スピッツを2人で」  戻る

さて大文化祭にむけてK君を誘いにいった。
元ライバルとはいえギターにおいては僕は初心者だ。

もしかしたらK君に笑われて断られるかもしれない。
だがここは強気で話してみた。
するとKくんは一人で弾き語りにでるつもりだったらしい。
なら僕が手伝ってあげるわって感じで一緒にやることが決まった。

そして申し込みにいったとこ、10組ほどの方がすでに決まっていた。
しかし弾き語りではなくカラオケだ 。
カラオケもOKらしい。
曲をみると「福山雅治」「松田聖子」「シャ乱Q」などうたうらしい。


僕たちは「スピッツ」の弾き語りに決めた。さあ練習だ。
この時点ではやっとFコードが押さえれるくらい。スピッツは難しいコードがあまりないとはいえ難しかった。

K君と二人で練習する日までに決まった曲だけは弾けるようにならなくては!
かなり練習した覚えがある。
手の皮がむけてテープをはって痛いの我慢して弾いていた。
しかし楽しかった 。
コードが押さえられる今度は右手のピックで弾くほうが難しくなってきた。
リズム感がいるし。
右手は常に弦を弾いているようにみえるが実は空ピッキングといって空振りもしてるのだ。
これは難しかった。

弾いたり空振りしたり。
しかし!これができると曲らしくなめらかに聞こえるのだ。


さあそして二人で練習の日がきた。


出口少年物語 第16話 「おいのばかすけん(注:島原弁です)  戻る

さて二人の初練習の日がきた。
僕は自分のギターである青のストラトキャスターを持って行った。
K君はアコースティックギターを持っていた。

Kくんはなんと指で弦を弾きながら歌うのが得意みたいだ。
ピックはあまり使わないらしい。


さあ初めてあわせる。
曲は「スピッツ」の「空も飛べるはず」。
「白線流し」のドラマで流行っていた曲だ。

あわせてみる。僕のギターがやや遅れぎみだがまあまあよいでき。
しかしk君は納得してない様子。
僕が初心者とばれたか?
1曲だけ限定して練習すれば初心者とばれないよう演奏できると思ったのだが…。

あまかったか…。


K君はこう言った「でぐっちゃんもアコギば弾かんね、そんほうが弾き語りの感じのででよかと。おいのばかすけん(注:島原弁です)」。
要するに僕もエレキではなくアコギを弾くことになったのだ。K君からアコギをかりた。
そして僕のエレキギターはエレキに興味しんしんのK君の手に渡ったのだ。
エレキもアコギもあまり変わらないと思っていた。


しかし、それがあまかった。

僕は自宅に帰りアコギで練習をはじめる。これはヤバイということに気付く。

弦がガチガチに硬い!エレキと比べものにならないほど硬い!指が痛い。辛い練習の日々だった。


出口少年物語 第17話 「大文化祭」  戻る

文化祭までの間勉強もせずに練習していた。
弾きにくいアコースティックギターを克服していった。

そして大文化祭当日がきた。
10組が出場するなかで僕らは最後から2番目だった。
10
組のうち7組がカラオケだ。
そして弾き語りが2組。
そして高校教師バンドが1組あった。


僕は緊張して朝からごはんも食べれず。本番に近くなるにつれ吐き気がしてきた。

プログラムは進む。

大文化祭は各クラスがひとつ以上出し物を出している。
出店やショーなどにぎわっていた。

カラオケや弾き語りを聞いている生徒は100人を軽く超えていた。
初心者が演奏するには客が多すぎると思った。


カラオケは順調に進んでいった。
イケメンの男が福山を歌う→女子よろこぶ。
松田聖子をふりを付けて踊りながら歌う女子→かなりうけている。
客は増える。


そして7番目高校教師バンドである。
しかしこのバンドは天気がよく熱で器材がやられたと中止になる。


いきなりぼくらの番だ。
高校教師バンドをみたくて集まった生徒はたくさんいた。
それが中止になったため、ぼくらはお客が一番多そうな時に本番を迎える。


いよいよ本番だ。


出口少年物語 第18話 「初恋」  戻る

さあ、いよいよ本番!の前に僕がギターを頑張った他の背景の話。
出口少年の初恋は高校2年。
相手は1年の時同じクラスだった子で超成績がよかった。
同じクラスのときはそんなに気にならなかったのだが。
2年になりクラスが離れるとさみしくなった。

特に仲がいいわけでもない。
1年間で10回話したかどうかだ…。


その子がスピッツが好きだったのだ。
スピッツの弾き語りなら必ずみにくるはず。
そんな思いがあったからこそ練習も頑張れたと思う。


さて本番だ。二人でステージにあがる。

そのあとはあまり記憶にない。
どんなアンプだったか、演奏前にKくんが何を話してあいさつしたか、覚えてないくらい頭が真っ白だった。


出口少年物語 第19話 「初恋」  戻る

ステージにあがった僕は、頭のなか真っ白になりながらも初恋の子をさがした。
いや、お客のほうをまともに見れないくらい緊張してたのでちらちらと下向きながら横目でさがした。


いた。


なんか友達と帰ろうとしている様子。

いかん!帰るなんてとんでもない。

うちらがスピッツやることを知らんのかこの子は…

こうなったら演奏を始めるしかない。スピッツの曲さえ流れればスピッツファンのあの子は必ずきくに違いない。

演奏を始めた。

イントロが始まると有名な曲だけにみんな反応がよかった。

歌がはじまる。いい感じに聞こえた。
全身に喜びがはしった。日頃高校で目立たない僕がいまこうやって自分をアピールできるのだから 。
と思いきや初恋の子はK君の方だけをみてるではないか…
気付くとそう、ほとんどの人がK君の方をみている。
まあボーカルだしかっこいいししかたがない… 。

しかも全国制覇の弓道部だ、ファンも多いだろう…

なんて考えていたらピックは落とすわ コード間違えるわで僕は目立ってしまった。

そんな感じで僕の青春は幕を閉じる。

しかし満足だった。 K君にも初恋の子にも感謝した。だめ高校生の僕がこれだけのことができたのだから!

これから残りの高校生活勉強しまくって、いい大学に入って、そこで青春を送ろうと決める。



出口少年物語 第20話 「秘密基地」  戻る

さて、残り1年半の高校生活を勉強にかけると決めた出口少年。
出口少年の将来なりたいものは小さい頃からいろいろかわった。

幼稚園の頃は薬屋さん。覚えてないのだがそう言っていたらしい。
小学校低学年で昆虫博士。とにかく虫好きだった。
一番はまったのがテントウ虫。
当時流行っていた。
なかでもななつ星があるのは人気であった。
ファーブル昆虫記はほとんど読んだ←小学生用のやさしいやつ 

常に生きものを飼っていた。昆虫にかぎらす生きものが好きだった。犬や熱帯魚もかなりはまった。

小学校中学年になると家を作りたくなる。
山に秘密基地を作って友達をよびおかしを食べていた←全然秘密基地でない。

秘密基地は多分20個くらい作った。
材料は近くに家を建てているところから盗んでいた。ブロック、
木材など←万引きか?
小学校高学年でミニ四駆が流行る。車を作る人になりたくなる。
ミニ四駆では物足りなく、ソーラー電池で走るソーラーカーをつくったりした。
中学に入ると理科の先生になりたくなる。
理科がとても好きだった。
勉強しなくても好きだったのでテストはクラスで一番を争っていた。

こんな感じで将来の夢はいろいろかわったのだが、少しだけ共通点がありどの夢も理系よりである。
そう、出口少年は文系が大嫌いで理系ばかり勉強していた。
高校の時は教育学部に入り、先生になりたいと思っていた。


出口少年物語 第21話 「進路」  戻る

僕は勉強してもなかなか成績があがらなかった。
それは国語、社会、英語の成績が悪かったからだ。

大学入試には5教科が必要。
国立なら国語200点、数学200点、英語200点、理科100点、社会100点で800点満点という点数配分がほとんど。
これが問題なのだ。


得意の理科が800点中たった100しか占めてないのだ。
これはいたい…。

うちの高校は370人。
その中の150人が国立大学にいける。
僕は200番に入るのがやっとだった。

私立大学は親から無理と言われていた。
長崎には大学が少ない。出口家から通える大学はない。

よって大学にいくにはかなりの大金がいるのだ。

もし国立大学が無理なら就職か…。

そんな時「看護婦一日体験」のはりがみをみつける。僕は自分には関係ないと読まずに通り過ぎる。


出口少年物語 第22話 「看護って何?」  戻る

ある日担任の先生から呼び出された。用は看護婦一日体験に行ってくれということだった。

???俺は男だぞ…と思った。

しかし、先生は真剣にこれからの時代必要になる仕事だからと僕にすすめた。
しかし僕は先生になりたいわけだし、無理なら就職と決めていたのでことわった。
しかしその後も担任の先生は看護婦をすすめた。
僕は看護についてなにも知らないし興味もなかった…女性の仕事と思っていたし、男がやるのは変だと思っていた。


そんな時初恋の子が看護婦一日体験にいくことを知った。


僕は即座に看護婦一日体験へいくことを決めた。

担任の先生は大喜び。担任はなんと看護学校に進学する生徒を専門にみているらしい。それが男子クラスの担任では意味がなく寂しかったのであろう。

廊下の看護婦一日体験のポスターをみてみる。

 “ストッキング持参”と書いてあった…やっぱりやめようかなと思う。


出口少年物語 第23話 「看護1日体験」  戻る

僕は看護婦という仕事の内容をいまいち知らなかった。
あまり病院にかかってないし、入院もほとんどない。
看護婦のイメージもあまりないのだ。

まあ社会勉強の為にも1日体験へいくことにした。

当日、1日体験には近くの高校から生徒が集まっていた。
50人くらい。そのなかで男は2人であった。
1人じゃなくてホントによかった。

しかももう1人の男、みたことある顔だと思ったら中学卓球時代となりの中学で卓球部だったやつだ。
とりあえず話かけた。
するとその子は将来障害をもつ子供のお世話をしたいというちゃんと目的があって一日体験にきてたのだ。

一方、出口少年はたいした目的もなくこの一日体験にきている… 。

恥ずかしくなった。


さあ、いよいよ看護婦体験。
いくつかのグループになりベテラン看護婦のあとに続く。
僕は老人がたくさんいる部屋に連れてこられた。
まずあいさつをするのだが、男の子だからすごく目立つ!患者さんはめずらしがって注目してた。

「あんたお医者さんになるの?」とよくきかれた…。
患者さんをお風呂に入れたり、ごはん食べさせたりして昼からは一緒に遊んだ。

竹とんぼを作ったり、折り紙を折ったりした。
結構おじいちゃん、おばあちゃんかわいいなぁと思い、自分のおじいちゃんおばあちゃんを思い出した。
世話になったのになんにも恩返ししてないな…など考えさせられた。
最後に看護婦さんが僕に「これからの時代看護には男の力が必要になるから頑張ってね」と言った。

たしかに女性の力で老人の体を持ったりするのはきつい… 。看護の世界には男も必要と感じた…。

こんな感じで一日体験は終了  ちなみに初恋の子はこの日なぜかいませんでした。


出口少年物語 第24話 「勉強!勉強!勉強!」  戻る

看護を一日体験したあとだが出口少年は理科の先生になるため勉強をつづける。
もし国立大にいけなかったら私立はお金かかるし、看護学校行ってもいいかなと思いはじめた。
3の夏になるとうちの高校のスパルタぶりが増す。
3年全員で雲仙の旅館に泊まり勉強するリズムを作るのだ。

朝から晩まで勉強 朝食夕食前の散歩以外は外にでれない。
これが約5日間つづく。部活やっていた人も部活を卒業し勉強を始める。

受験戦争だ。

他の高校の子は就職や専門学校への進学が決まり遊んでいる。
僕らは正月も学校へ来て勉強していた。
僕の成績が伸びないのは文系を勉強しないからである。
文系(国 英 社)理系(数 理)とすると32で文系の教科が多いのである。

文系の生徒が有利ではないかといつも思っていた←英語は理系と文系両方に入るらしいが…
猛勉強のすえ社会はまあまあ成績が伸び、僕の成績も国立大を受けてみる価値があるくらいになった。
一方おちた時のことを考えて看護学校を一校だけ受けることにした。
名古屋に病院で働きながら看護学校に通えるという学校があった 担任の先生がさがしてくれたのだ。


これなら親に全く負担をかけない。

大学センター試験を前に出口少年に迷いが生じた。


出口少年物語 第25話 「センター試験」  戻る

いよいよセンター試験だ。
長崎県は長崎大学でセンター試験を受ける。

島原から遠いので前の日からホテル泊まっての受験だ 。
長崎の100万ドルの夜景?をみながら出口少年は迷っていた。


これまで青春をすててガリ勉をしてきたが、国立大にいけば人生は成功するのか…

教育大に行っても先生になれるのは7人に1人 あとの6人はなにになるのか…

僕が大学へ行ったら母と弟は貧乏生活になるんじゃないか…

弟は大学へ行かないつもりなのに僕が行っていいのか…兄弟は平等がいいのではないか…。

しかしもう迷ってる時間はない。明日はセンター試験だ。
この試験で僕の人生は大きく変わるだろう。

僕は二日間の試験を全力で受けた。

試験が終わり島原に帰り、次の日自己採点をした。
センター試験は国200200200100100点の配分で国立大に行きたいなら500点以上は必要とされている。


出口少年の自己採点は540点。

いける!国立大へいける!そう思って飛び上がってよろこんだ。


出口少年物語 第26話 「重大な発表」  戻る

センター試験で国立大のボーダーを超えた出口少年。
親にも大学いけるかもと話した。


あとは各大学の各学部による二次試験だ。

二次試験は科目がしぼられてて得意科目で受験できる。
僕の場合だと理科、数学で受験できるのだ。
もう嫌いな科目を勉強しなくて済む。
理科と数学だけ勉強してればいい…。

出口少年は福岡教育大へ行きたかった。
武田鉄也の出身校だ。
金八先生もこの大学が影響あるにちがいない… 


しかし夢は一日で終わった。
次の日担任の先生から重大な発表があった。
今年のセンター試験は問題がやさしかった為ボーダーが50点ほどあがるということだった。
800点中550点とらないと国立大は行けないということだ…。
出口少年の点数は540点…とどいてない
たった10点と思うだろうが、この10点のなかに全国の高校生、留年生がぎっしりつまっているのだ…。
1点でも順位が全然かわるのだ


その日、生徒全員と担任教師との面接があった。
僕は担任に沖縄と北海道にある大学ならひょっとして合格するかもなどといわれたが、もう気力がない…。


「看護学校にいきます…」といい受験戦争から逃げ出した。

それから家にとじこもり高校にも行かなくなった。


出口少年物語 第27話 「看護学校へ!」  戻る

受験戦争から逃げ出した出口少年は看護学校受験の為準備を進める。

出口少年の行きたい看護学校の条件は、

@ 入試に化学があること
A   東京、名古屋、大阪、福岡付近であること
B   働きながら通える定時制であること

の三つだった。
@については出口少年は化学と物理は高校で習ったが生物は習ってないのだ。
しかし看護学校の入試はだいたい生物!
人間のお世話をするのだから当然である。
化学で受験できる学校は少ない。


Aについては田舎の生活はうんざりなのである。

Bについては働きたいのである。親にも孝行したいし、自分のためにも働きたかった。

この三つの条件を満たしたのが名古屋市立中央看護専門学校だった。
この1校だけに決めた。ここに入学して看護婦になると決心した。


受験の日、看護学校の受験は大学入試に比べれば非常に気楽だった。
数学なんか数学Aだけである。
僕は数学ABCTUVを習ったので、A以外の数学は勉強して無駄になってしまった。

看護学校に入ったら絶対一番の成績になってやると決心した。
名古屋で青春を1からおくると決心したのだった。


出口少年物語 第28話 「初名古屋」  戻る

看護学校合格発表の日、出口少年は家でごろごろしていた。
電話がなった。

合格の知らせだった。

わざわざ電話で教えてくれるなんて親切な学校だと思いきや、『明日か明後日就職先をさがしに名古屋に来れますか』ときかれた…。

そうだ、就職するんだった。

僕は次の日名古屋に飛んだ。
連れてこられたのはN医師会。
ここで合格者の就職先が決まるのだ。
女の子たちが必死に病院案内をみてる。
男は僕ともう1人いた。
僕もはりきって病院さがすぞ!と思いきや、『君達が選べる病院はこの二つだ』と精神科と脳神経外科の病院が目の前に出された。


自分の目の前にある案内のうち近いほうをとったら精神科の病院だった。
しかし一方の脳神経外科も捨てがたい…。
しかし2人ともよくわからないし、どっちでもいいような話になり、僕は最初に手に取った精神科の病院にした。
そしたらその精神科の病院の職員が迎えにきてるではないか…。
僕は車に乗せられ病院に着いた。
正直小さい病院だなと思った。
しかし学生の間働くだけだしどうでもいいやと気にしなかった。

病院の中に入ると意外に広い!
正面は建物が小さくみえるが、奥行きがかなりある、中庭まであるではないか…。

そして看護士らしき人がいた。
生まれてはじめてみる看護士!
男が白衣をきてる…。


僕はだんだんうれしくなった。
楽しそうな職場だなぁと感じた。
そして理事長と面接。
趣味は?ときかれ、あわててバスケとギターですと答えた。
すると理事長は「バスケのチームあるよ  ギター弾く人もたくさんいる」と言った。


なんて最高の病院なんだ!
僕はたいして説明もきかず、病院の中も回らずに就職の契約書にサインをしてしまった。



出口少年物語 第29話 「ふるさとを後にして」  戻る

就職が決まって担任の先生に報告に行った。
その帰り廊下に進学や就職が決まっている人が張り出されていた。
ちらっとみてみた。就職はほとんどいない。

ん、あれは!

初恋の人の名前が…そして南山大学…と書いてあった。


僕は気になって図書館で大学の一覧をみた。
南山大学、はじめてきく名だ。


あった!
なんと名古屋ではないか…。

名古屋の私大でキリスト教の大学だ。

僕はよろこんだ。名古屋であえるかもしれない…


〇卒業式

僕は卒業式のあと数日で名古屋に旅立つため、もう島原には少ししかいれない。
もしかしたら初恋の子にあえるのは今日が最後かもしれない…。
卒業式が終わり、職員室にあいさつにいって帰ろうとした時、初恋の子と階段であった。
これはすごい偶然だ。

僕は「合格おめでとう」と話しかけた。
友達がまっていたのでちょっとだけしか話せなかったのだが、これから名古屋でがんばろうね、みたいな話をした。
そしてPHSを買ったばかりという彼女の番号をゲットしたのだ。


やっと出口君に春がきたのである。

〇旅立ち

僕はリュックひとつで名古屋へ旅立った。その際ギターはおいていくしかなかった…。

さあいよいよ名古屋だ。

出口少年物語 第30話「名古屋に引越し」  戻る

僕はついに名古屋にきた。つい最近までは名古屋が愛知県だとも知らなかったくせに。
今から約9年前ですね。
9年前がどんな時代かといいますと、たまごっちが流行ってましたね。
ドラマではバージンロードが最終回あたり。
安室奈美恵の「キャンユーセレブレイト」が人気。
猿岩石が売れてCDだしはじめたころ。
携帯は少なくPHSがほとんど。


こんな時代です。

9年長かったような短かったような。

さて本題、いまでも忘れない3/12に名古屋に来ました。
正直うきうきしてました。
ちなみに名古屋に知り合いや親戚など全くいませんでした。
全くの一人で名古屋にきたのです。


あとで知ったのですが、僕の就職は集団就職といい田舎から高卒者を集団で就職させるのです。
長崎県宮崎県出身者がほとんどで名古屋空港に着くとN医師会のバスがあり、それに僕たち看護師の卵たちは乗り込んだ。
N医師会に着くと100人近い卵たちがいた。
そして各自就職が決まっている病院に引き取られていくのだ。
僕の場合今の病院の事務部長が迎えにきていて車で病院に連れて行かれた。
病院に着いてまず看護部室に連れて行かれ、そこに僕の寮のルームメイトになるY君がいた。
宮崎県出身らしい。

今日から!Y君と一緒に寮生活をして看護師をめざすのだ。
名古屋での友達第一号である。


出口少年物語 第31話 「名古屋探検」  戻る

出口&Y見習い看護師は寮生活を共にすることになった。
なんと8畳ほどの部屋に机2つと2段ベット。
どうかんがえても二人で住むにはせまい…。


でもまあしかたない…。ぼくらは2人で近所を歩いた。
近くにマック、モス、ケンタッキー、ミスド、吉野家、藤一があり、コンビニやスーパーも充実。
やはり都会だ。
まずは親のいない生活に慣れなくては…。


電化製品を二人で買ってそろえたいが、電気屋がわからん。
後回しだ。
服だ、まず名古屋らしい服をきなくては。
おばちゃんに服屋をたずねるとUNIQLOがいいよといわれUNIQLO本陣店へ 。

名古屋用の服をUNIQLOで調達する田舎者二人。

その日の夜はバージンロードの最終回。
しかしテレビがない。
出口君はすごいたのしみにしていたのだかみれない…

(実は今だに最終回どうなったかしらない、ビデオかりてみようかな…はじめからみないともう忘れちゃって話が分からんかな…)
しかし、Y君といろいろ話をして寮生活は楽しかった。
明日からいよいよ仕事のはじまりである。


ドキドキ。

出口少年物語 第32話 「勤務開始」  戻る

僕は312に名古屋にきて314から働き始めた。

僕が働く病院は精神科で5つの病棟がある。男子閉鎖・女子閉鎖・開放病棟・男子準開放・老人病棟。
僕は男子閉鎖病棟で働くことになった。
症状のやや重い男子の病棟だ。


ここでは看護師も男子がほとんど。
やはり暴れる患者さんもみえるため女性の看護師は少ない。

僕の第一の印象は患者さんは割とふつうだなぁと思った。
みた感じ病気にみえない方もたくさんいた…
精神科の仕事は楽しかった。
患者さんとスポーツやゲームを楽しむことから始めたからである。
ここに就職してよかったと思う。


しかし世の中そうあまくない…。
厳しい看護師見習い修行がまっているのだ。

630から早出 1200までみっちり働き、1330から1700まで学校。
そして18002100まで遅出の仕事。それが毎日のように続くのだ…。


おはようからおやすみまで看護づくしなのである。


出口少年物語 第33話 「思ったより大変」  戻る

名古屋で青春を1から送るはずの出口見習い看護師。
高校のときは田舎でガリ勉をし、名古屋にでてきて人生これからという18歳!

しかし現実は早朝から夜遅くまで看護ばかりの超厳しいもの…。
しかし看護学校はきっと楽しいはずだ。期待して入学式に行った。

うちの看護学校はいろんな科がある。
全日制・定時制・準看護師・助産婦など…。
かなり生徒は多いのだが、僕の通った定時制は学年84名。
42名のクラスが2つある。
僕のクラスは42名中男子4名である。

しかし、前も後ろも横も女である。
高校時代男子クラスの僕にとっては非常に息苦しい…。

学校もあまり好きになれず…。

しかし看護師になるためだ…。
勉強のほうだが高校時代生物を勉強してない僕は非常に苦労した。
このころはバンドなど頭になかった。
ギター持ってきてないし、やる時間もない…。



出口少年物語 第34話 「ベーシスト出口」  戻る

名古屋にきて現実の厳しさを知った僕だった。

大学に行っていたら今ごろコンパばかりだったに違いない←大学生はコンパばかりだと思っていた。

そんな出口見習い看護師にも名古屋にきていいことがあった。
それは仲間が増えたこと。
男の看護師が多いうちの病院ではプライベートの付き合いもかなりあった。
そして毎日遊ぶほどの先輩ができた。
この先輩(I先輩)はドラムでバンドを組んでいた。


そしてある日僕と先輩はドクターのおごりでめしを食べに行くことになった。
伏見の「YaYaYa!」という店だったと思う。
ここで僕は始めてバンドの演奏というものを知る。
ビートルズのコピーだが僕は感動した。


バンドやりたいと思う気持ちがでてきた。
その帰りにパルコの楽器に行った。
そこにはすごい数の楽器がならんでいた。
とくにベースはいままで見たこともないので興味をもった。
ベースをみていた僕にドクターが「出口くんギター弾けるんだよね…ベースは?」と聞いた。
『ベース今日はじめてみました 弾いてみたいです』と答えると 「僕のベースあげるよ」といわれた。ラッキーである。


次の日僕は白のフェルナンデスのベースをもらった。
この日からベーシストになった。
最初に弾こうと思った曲は「スピッツ」の「チェリー」。
しかしイントロも弾けず挫折…。
CD聞いてもベースなんてよく聞こえないし、ベースの練習はおもしろくないと思った。
そして全くベースは弾かなくなった…・。
しかしベースをくれたドクターや先輩には「ベース毎日練習してます」と言っていた。


そんなある日先輩がドラム叩くバンドのベースが都合で練習にこれないという日があった。
そして先輩が僕に「この日ベース弾いてくれん?」と言って僕に「ニルヴァーナ」のCDを渡したのだ。


最高のピンチだ…。ベースは全く弾けないし、だいたい「ニルヴァーナ」ってなに…?


出口少年物語 第35話 「初スタジオ」  戻る

みなさんは「ニルヴァーナ」をご存じでしょうか?
ボーカルのカートコバーンが有名ですね 。
椎名林檎のギブスという曲の歌詞にもでてきますよ←カラオケでこの曲を歌う女は意味わかって歌っているのか…?
ニルヴァーナのドラムはいまも「フーファイターズ」っていうバンドやってますよ。

さて本題出口さんが初めて練習スタジオに入ったのは18歳。
ベースでニルヴァーナのコピーをしたのだ。
このできごとが今の僕をバンドマンにしたのでしょうね。
超かっこよくて、僕もやりたいと思いました。
バンド名は「ノースター」です。
今名古屋にはいませんが…。

この日以来僕はバンドがやりたくてやりたくてしょうがなくなるのだ。
仕事と学校が超忙しくてもバンドをやりたくてしかたがなかった。
しかしバンドもない…。
先輩はバンドを組んでるし… 。


そんな時僕と同じくバンドをくみたいと思っている先輩がいた。
ロックンローラーブチ先輩だ(後の「サリーズ」のドラムになる。現在「ジェットカンフー」というバンドのドラム)。
僕はブチ先輩と頻繁にスタジオに入った。
たまにはI先輩ともスタジオに入った。


しかし僕はギターとベースを選べずにいた…。
どっちもかっこいいからだ。
田舎に帰った時持って帰ってきた青のストラトキャスター、先生からもらった白のベース。


どっちの楽器を弾いても楽しいし…←どっちもたいして弾けないくせに


出口少年物語 第36話 「バンドやろうぜ」  戻る

僕はギタリストかベーシストかわからん状態でひたすら練習はした。
しかし寮は二人部屋だ…。
なかなか練習ができなかった。
相方の留守の時練習するか、練習スタジオに入るか、学校サボって練習するか…。
出口看護師見習いは楽器を練習したくても練習しにくい環境にいた。


しかし負けずに練習できるとこから練習した。
授業中、左手の指体操、右手のピッキングの素振り。
他の看護学生はそれをみて変人と思っただろう。


ある日ブチ先輩に連れられて栄もちのき広場へライブをみに行った。
そこで出会ったのが「きゅうす」である。
三人の男からなるバンドで最高に感動した(現在4人、美人ベーシストがいます)。


そしてI先輩がドラムをたたく「ノースタ」ー。

この二つのバンドのライブには毎回行った。必ずテレコに録音して帰ってから聞き直したものである。


しだいに僕はギターに心ひかれ、冬のボーナスがでた日にフェンダーのジャガーというギターを購入した。
ジャガーを購入した僕は勢いで“バンドやろうぜ”という本に書いてあったメンバー募集に手紙を書いた。

一週間後返事がきた。



出口少年物語 第37話 「ジャガー」  戻る

ジャガーというギター購入してバンドを組みたい出口看護師見習い。
頭の中はバンドでいっぱいだった。


友達と遊びにいくより、なによりギターが楽しかった時期である。
雑誌のメンバー募集に手紙を出した僕は知らない年下の子らとバンドをやることになった。

ところで出口看護師見習いの学校の成績の話である。
高校で生物を勉強してないため非常に苦労していた。
人間の臓器なんて心臓と肺、胃腸くらいしか知らんかった。
あとの肝臓腎臓脾臓膵臓などさっぱりである。
盲腸の位置が左か右かもわからない。
(小学校の時仮病で盲腸のふりをしたが痛いとこが逆だった)


早朝から仕事してお昼食べて学校にいく…。
ちょうど眠たい時間だ…。
いままで学校で寝たことがない僕も看護学校で居眠りを覚えた。
夜も仕事だし、部屋に帰ってからは勉強する気もおこらなかった…。


もし部屋で勉強しようもんなら一日が看護だけで終わってしまう。

おかげで成績はギリちょんであった…


出口少年物語 第38話 「地獄のような日々」  戻る

さてバンドに目覚めた出口看護師見習い。
学校の成績はギリギリ…。
では病院の仕事はどうだったのか…
食べるためには働かなくてはいけない。
僕は高校卒業後は親の支援は受け取らなかった為、生活のすべてを自分が稼いだお金でやりくりしていた。
もちろん学校の授業料もだ。
給料は一般的なOL並み…。

働く時間は一日8.5時間  週に一回夜勤あり 
病院側にとってはいい労働者である
安い賃金でたくさん働いてくれるのだから。


そして、九州や北海道からでてきた学生たちは病院をやめたくてもなかなかやめれない状況にある。
病院をやめると住むところがなくなるのである。
実際名古屋出身の看護学生は病院をやめる子が多かった。
やめて親元から看護学校のみに通うということだ。


しかし僕ら田舎出身の学生は病院をやめることができず、ひたすら働くのだ…。
N医師会がなぜ九州や北海道から集団就職をさせるのかよくわかった。


高校の時にみた資料「働きながら看護婦になれます」簡単に思えるが、実際は地獄のような日々であった。


出口少年物語 第39話 「ガスセンサー」  戻る

やっとバンドが組めたのだか、このバンドは2回イベントのライブにでて解散してしまう…。

そしてベースをやってみたいと思っていたある日パルコの楽器屋でベース募集のチラシをみる。
そしてベーシストとしてバンド活動開始。


バンド名は「ガスセンサー」(いまも音源あります。興味あるかたはテープあげますよ)。

このバンドはボーカル女の子。
ギターは「ブラインドソース」のベースボーカル牧野さん。
ベース僕 。
ドラムは「ブラインドソース」のギターボーカル&「四日市ぜんそく」ギターの熊さん。
というみんなメインの楽器でない楽器をもったバンドでした。
しかし牧野さんも熊さんもかなりうまい。
このバンドでクラブロックンロール、クラブBL、野外ライブと結構ライブを経験する。約2年間やる。


僕は熊さんに借りた安いベースを使っていたが、ついにベースを購入!
スペクターというメーカーのベースだ。
しかし僕がこのベースを買ったとたんガスセンサーが解散してしまうのだ…



出口少年物語 第40話 「スペクターベース」  戻る

スペクターというメーカーのベースを購入したとたんガスセンサーが解散してしまった…。
このころは毎日部屋でベースを弾き、ベースマガジンを読みまくって練習していた。

そんなとき後輩のF君がギターを持ってうちの部屋によく遊びにきていた。
ハイスタやオフスプリング、ミッシェルガンエレファントなど一緒に練習していた。
そんななかドラムをやっていたはずのブチ先輩が鼻歌で歌を作ったと持ってきてくれた。


その流れでブチ先輩をボーカルにして、ドラムに憧れの「ノースター」のドラムのI先輩をむかえて夢の病院看護師バンドができたのである。
このころ春だったが、7月にハートランドでライブをやることを決めてしまう。

23か月で練習してライブをやるためまず曲作りにはげむ。


出口少年物語 第41話 「最大の試練、実習」  戻る

曲の作り方は人それぞれだが、僕は大抵伴奏から作る。
そして伴奏にメロディーをつければ完成。
しかし逆もあり、メロディーから作る場合もある。


僕はこのころブチ先輩の鼻歌テープで曲をつくるという慣れない作り方をしていたが、割とうまくいった。
バンドのジャンル的にはコミックパンクバンドで歌詞も面白いものが多かった。
ハートランドに向け毎日練習していたが、このころ看護学校最大の試練がやってきた。
実習である。

看護師になるためには約一年ほど実習に行かなくてはならない…。
実習とは実際に病院へいき本物の患者さんに看護をする勉強である。
実際体験しないとわからないが超辛いものである。
実習が辛くて学校をやめる子はあとをたたない。
どっかの看護学校では自殺者もでたほど。


僕の場合仕事もあったのでホントはバンドどころではないのだが、ストレス解消のようにベースを弾きまくった。
ハートランドによんだ客は約30人。
ほとんどが病院の職員。
ライブが近くなるにつれ緊張感がます。

ここまで
2005/8/21 UP

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